George's Blog

12月 31, 2011

妻の年末年始スマホ移行計画

カテゴリー: 雑感 — George @ 6:40 pm

年末の休みを使って、妻の携帯をガラケーからスマホに変えた。

子供が大きくなって少しは減ったのだが、ママ達の携帯メールというのはすさまじく、うちの妻にもじゃんじゃんメールが入ってくるのだけど、携帯だと返事を書くのが面倒なので結構なストレスになるらしい。

そこで、携帯をスマホに変え、携帯メールアドレスを捨ててGmailのみで運用するのはどうかと提案した。Android携帯でGmailだとプッシュになるので、受信はスマホ、返信はスマホとパソコンの両方で送れば気が楽だ。

まずはスマホの調達だが、iPhoneと同じ大きさくらいの可愛いAndroidがなかなか見当たらない。それで、今年発売したソニーエリクソンのXperia Neoを香港のサイトから通販で購入した。Xperia NeoはXperia Arcより一回り小振りの女性向けとも言える機種だが、日本では売っていない。

グローバル版のAndroidで悩ましいのは漢字がビミョーに変(CJKフォント)なので、まずはフォントを入れ換えなくてはならない。fontを入れ換えるにはroot化が必要だが、xda-developers.comにツールがあって起動するだけ。あとはESファイルエクスプローラーを使って、フォントを明朝体に上書き。なぜ明朝体かというと、青空文庫を読む際に縦書きのゴシックフォントは違和感があるから。

まずはここまでで無線LANを設定し、一ヶ月間スマホに慣れてもらった。クックパッドのレシピ検索とか。

次に通信キャリアの選定だが、妻がスマホにすると一ヶ月でパケットをどれくらい使うのか、調べてみた。妻のガラケーからソフトバンクの銀SIMを抜き、Xperia Neoに挿入してAPN設定。ソフトバンクからのオンライン請求を見ると、18日間で11万3千パケット通信していた。

18日間11万パケットで月換算すると18万パケットだが、多めに5倍して90万パケットとしてバイト換算で一ヶ月あたり100MB使うことになる。とすれとSIMはドコモのアンテナが使えるb-mobileのtalking Fairで大丈夫だ。talking Fairはデータ通信が120日間または1GBに達するまで9800円だから、一ヶ月あたり250MBの枠で充分まかなえる計算。

これで、スマホ本体と通信キャリアまで確定した。

最後は女性ならではのメールの絵文字受信なのだが、これはよくわからないから(笑)、Gmail Labsにある「追加の絵文字」をONにした。

12月30日にソフトバンクへ番号移行のMNPを電話して、bmobileのSIMが宅急便で到着したのが12月31日。これで妻のスマホ移行計画は無事終了した。

今後は2人の子供のスマホ化だが、これはデータ通信が100Kに制限されているb-mobileの「イオン専用SIM」にMNPすると思う。これは子供に最適なSIMだ。通信速度が遅いから外でスマホ漬けになることもないし、自宅では無線LANで使えば問題ない。

12月 27, 2011

下町の感覚

カテゴリー: 雑感 — George @ 10:51 pm

今週、生まれも育ちも浅草橋の大学生とギターアンプを囲んでビールを飲む機会があったのだけど、「ああ、やっぱり浅草橋の生まれだよなあ」と久々に感じるところがあって羨ましく思った。

自分は荒川区の生まれで幼稚園から台東区。小学校も越境してたので、なんとなく地元色には染まらなかった。他人からみれば下町出身と思われるかも知れないが、そう思われるのもいやだし、下町の人に申し訳ないと思う。そんな自分から見て嫌いな映像はテレビでレポーターが上野や浅草の店で「下町で粋だねえ」とのたまうこと。レポーターに対しておもねる店にも違和感を覚える。

江戸っ子とは日本橋の擬宝珠から京橋の擬宝珠までの間だけど、本来の下町も日本橋から神田まで。神田上水の懸樋から先が下町の感覚だろう。谷崎潤一郎の「幼少期」では人形町の路地ごとに濃厚なコミュニティの世界を味わえるが、あの雰囲気だと思う。あとは植草甚一のエッセイと小林信彦の「私説東京放浪記」。「私説東京放浪記」の写真は荒木経惟が撮っているのだけど、三ノ輪出身のDNAで撮った写真はどれも素晴らしい。

11月 27, 2011

NHKアニメ「もしドラ」と無修正版とコーディナーと

カテゴリー: 雑感 — George @ 7:23 pm

土曜日の夕方にテレビをつけたら、教育テレビで「もしドラ」をやっていた。主人公の声が聞いたことあると思ったら「けいおん!」の秋山澪と同じ声優らしく、そこだけ萌えたのだけど、アニメの方は全然面白くない。

アニメも面白くないが、この主人公がいつも手にしているドラッカーのエッセンシャル版「マネジメント」は文章が教条的で手にしない方がいい。同じく「プロフェッショナルの条件」などの日本独自にシャッフルされたドラッカーシリーズも同じ。

ドラッカーの「マネジメント」は、2世代の翻訳があるらしく
1974年当時のもの
1.「マネジメント」犬田充,村上和子訳 /自由国民社
2.「マネジメント」野田一夫・村上恒夫/監訳 ダイヤモンド社
3.「抄訳マネジメント」上田惇生訳 /ダイヤモンド社

2000年以降のもの
4.「エッセンシャル版マネジメント」上田惇生訳 /ダイヤモンド社
5.「マネジメント無修正版」有賀 裕子訳 日経BP社
6.「ドラッカー名著集マネジメント」上田惇生訳 /ダイヤモンド社

昔の経営者だと野田一夫訳で読んでいると思うが、すでに廃刊になっている。完訳であればなぜか数年前に日経BPから「無修正版」なるものが出たが、4分冊で1万円以上するので図書館で借りた方がいいだろう。

ついでながら、ダイヤモンド社の上田訳エッセンシャル版よりもアマゾンで原書を買う方が安い。自由国民社の犬田充訳は原文に忠実に訳しているので、図書館で借りてペーパーバックと並べれば原書も読破できると思う。

ドラッカーの本の中では「創造する経営者」が好きで、この本は「現代の経営」の発展で事例が多い。すべて本当にあった事例に対する観察と思考の過程が面白いが、これも上田訳ではなくて野田一夫訳をおすすめする。

このあいだアマゾンのサイトを見ていたら、GEの会長だったコーディナーが1956年に書いた「これからの経営者」を見つけた。ドラッカーが「現代の経営」を書いた1950年代のクライアントだ。GEはこの時すでにアメリカだけで25万人以上の従業員を抱えている。パラパラとめくってみると、序文からしてすでに格調高く背筋が伸びてしまう。中身に関係ないが装丁の絵が岡本太郎だ。

9月 29, 2011

マクドナルドみんないい人

カテゴリー: 雑感 — George @ 12:57 am

首都高速3号線を用賀で降りて環八から世田谷通りを左折すると、ちょっと変わった外観のマクドナルドがあった。このマクドナルドは米国1号店の再現で、店内には創業当時の写真が貼られていたのだが、残念ながら今はない。ちなみに米国1号店とはマクドナルド兄弟の店ではなく、レイ・クロックが1955年4月に開いたシカゴ店を指す。

さらに世田谷通りを進みNHKの研究所を過ぎると左手に国立成育医療センターが見えてくる。国立成育医療センターには難病の子供も多く、全国から親子が上京するので親のための宿泊施設が欠かせないのだが、近所にはホテルなどはない。病院に隣接してドナルド・マクドナルドハウスが建っているだけだ。

うちの子供が入院していたときに、はじめてドナルド・マクドナルドハウスのことを知り、それまでの藤田田のイメージが180度変わった。国立病院の敷地内に民間の宿泊施設を建てるのはかなり大変だったと思う。藤田田は企業ではなく財団を設立して様々な規制をクリアしたようだ。ところで、藤田田が亡くなったときの日本の新聞の扱いはひどかった。業績不振で退任した直後だったし財界活動もしていなかったから、扱いを小さくしたのだろう。

そんなことから、日本マクドナルドの藤田田(1926-2004)、マクドナルド・コーポレーションのレイ・クロック(1902-1984)、そしてマクドナルド兄弟のことについて、自分なりに整理をしてみたいと思っていた。

藤田田の著書「藤田田 語録」「金持ちラッパの吹き方」「勝てば官軍」を読んでみて気がついたのは、苦労話がまったく書いていないことだ。それまでクリスチャン・ディオールのハンドバッグを売っていたのとは違い、飲食業はまったく別だったはず。週末にはエプロンを付けてキッチンの隅に立っていたらしいが、そのことも書いていない。それと藤田商店がマクドナルドを始める経緯については、どうもレイ・クロックからの提案だったようだ。当時、シカゴのマクドナルド本社へは日本の商社が多数訪問していて、実際にはダイエーが本命だったがご破算となり、藤田田にフランチャイジーになるように話したらしい。

1971年、米国本社が50%、藤田商店が25%、第一屋製パンが25%で日本マクドナルドをスタートしているが、1社取引は出来ないということで第一屋製パンが降りてしまう。結局藤田商店が唯一のパートナーとなりマクドナルド本社とは30年でフランチャイズ契約しているのだが、ロイヤリティーは売上の1%ずつと低く、それだけレイ・クロックと藤田田はお互いに信用していたのだろう。

日本の第一号店はもちろん1971年の銀座三越店だが、マクドナルドのイギリス上陸が1974年だから、世界的にも日本は結構早くオープンしたことになる。オープンにあたり藤田田が素晴らしかったのは、メニューをローカライズしなかったことだ。それまで海外のハンドバッグや宝石を売っていたから、ローカライズを考えていなかったと思うし、飲食業の経験も無かったことが良かったのだ。マクドナルド兄弟の9種類のメニューを変えなかったレイ・クロックと同じ思考だ。

レイ・クロック

「クロックは欠点のある、問題の多い人間で、気むずかしく、短気、偏狭なことで有名だった」ジョシュ・オザースキー「ハンバーガーの世紀」2010年
レイ・クロックについて、これまた180度見方が変わったのは、1961年マクドナルド兄弟から商標使用権と営業権の買い取るまでの間、フランチャイズを売る以外の一切の権利が無かったことだ。この忍耐はすごいものだと思う。フランチャイズのロイヤリティーは売上の1.4%がレイ・クロック、0.5%がマクドナルド兄弟となっていて、この条件を呑んだということは、50才を過ぎて単にミキサーのセールスマンで人生を終われないものがあったのだろう。

この条件下でフランチャイズ販売会社「マクドナルド・システム」を1955年に設立して1961年までにフランチャイズの権利を250店売っている。その間、彼はマルチミキサーからの収入で生活し、マクドナルドからの給料は1ドルも受け取っていない。だから、1961年にマクドナルド兄弟に270万ドルを払って全権利を買ったあと、近くに店をオープンして兄弟の店をつぶしたのも、今となっては納得できる。彼は死ぬまでマクドナルド兄弟のことを許さなかった。

レイ・クロックは自伝を出しているのだけど(Grinding it out: the making of McDonald’s 1977年)、これを読んでもあまりピンと来なかった。しかしながら1986年のMcDonald’s: Behind The Arches(邦題:マクドナルドわが豊饒の人材)はびっくりするほど面白い。途中からの会社の拡大と資金繰りがとてもリアルで、ビジネス書としては一級だ。

マクドナルド兄弟
マクドナルドの名前は知っていても、リチャードとモーリス兄弟のことは知らない人がほとんどだ。
1948年、兄弟は20万ドルの売り上げがあったドライブインを閉鎖してハンバーガー15セントの店をオープンするのである。これが私たちが食べているマクドナルド・ハンバーガーの原点。徹底したスピード、清潔感、品質のDNA誕生だ。兄弟は調理器具を次々と発明して、ファーストフードを確立していくのだ。1952年には「アメリカン・レストラン・マガジン」のカバー・ストーリーに登場していたくらい、評判の店だったらしい。

レイ・クロックが必死の思いでフランチャイズを売っていた1950年代中ごろ、兄弟には店の利益10万ドルが入ってきていた。1952年には「スピーディー・サービス・システム」のフランチャイジー募集の広告も出している。レイ・クロックと会うのは1954年のことである。だから、兄弟から見ればレイ・クロックとビジネスで心中するつもりは無かったと思う。1961年に権利を売り、リタイヤしたことは間違ったとは言えないだろう。

最近は映画「ファストフードネイション」や「スーパーサイズ・ミー」でハンバーガーにとっては逆境だけど、マクドナルドに入ったらハンバーガーかチーズ・バーガーを食べて欲しい。この2つは1948年から変わらない。そしてお釣りはカウンターにあるドナルド・マクドナルドハウス募金箱へぜひ入れてください。

1948年のマクドナルド兄弟

1948年のマクドナルド兄弟

9月 1, 2011

50才以上だけの紙媒体

カテゴリー: 雑感 — George @ 8:23 pm

夏休みに新聞記者が書いた本を図書館から借りてみた。

■阿比留瑠比(早大政経-産経)「政権交代の悪夢」「決定版 民主党と日教組」
■古森義久(慶応経済-毎日-産経)「アメリカが日本を捨てるとき」「アメリカはなぜ日本を助けるのか」
■大塚 将司(早大政経-日経)「日経新聞の黒い霧」
■長谷川幸洋(慶応経済-中日)「日本国の正体」「官邸敗北」

ちなみに「日経新聞の黒い霧」は日経のある千代田区内の図書館には蔵書されていないが、講談社のある文京区図書館には3冊も蔵書されている(笑)

いずれも名が売れている記者だし、文章が上手いから速く読めるし面白かったのだけど、肝心の新聞がつまらないので、これからも記者が書く本やブログに頼ってしまうかも知れない。そうなると、日経のようなサラリーマンだけの新聞社はますます厳しくなると思う。

NHKの調査によれば、新聞を読んでいるのは20代男性で13%、30代男性で23%で、同年代の女性より低い(20代女性15%、30代女性24%)らしい。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2011_04/20110401.pdf
50代以上になると半数以上が読んでいるから、前期/後期(高貴)高齢者の間だけでやり取りされる紙媒体が「新聞」なのかも。

今年1月のニューズウィーク日本版タイトルは「だから新聞はつまらない」だったけど、構造劣化は止められない。もう新聞は50才以上だけの紙媒体。だったらシニア向けに「読売・日経・産経」「朝日・毎日・東京」でパッケージ化するとか、6紙をまとめたタブロイド版を「ビッグイシュー」と同じルートで販売するというのもいいんじゃないかな。つまんない電子版より紙で工夫の余地はあると思う。

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