流星ひとつ

いまはどうなっているか知りませんが、子どもの頃はJR山手線から見ると日暮里駅の脇に昭和の雰囲気を漂わせた小さな飲み屋街が見えました。何かの本で、藤圭子の両親があそこで「流し」をしていたと書かれていたのですが、本当かどうかわからないまま、この話はいつしか忘れていました。

昨年、図書館で沢木耕太郎の「流星ひとつ」の文庫本が新刊コーナーにあって読み始めたら、藤圭子の親子が北海道から上京して住んだのが西日暮里。となると、本当に藤圭子がデビューして大金が入るまで、両親は日暮里の飲み屋で流しをしていたのでしょう。

文壇のパーティーでは、女性に一番モテるらしい沢木耕太郎は、私もいくつか読んでいて「深夜特急」のあとは香港へ何度も行きましたし、「キャパの十字架」では、崩れ落ちる兵士を撮ったのがキャパではなくてゲルダだったとか、近藤紘一の本を編集したのがやっぱり彼だったとか、取り上げるテーマと深い内容には感心するばかりです。

その彼が藤圭子と極めて親しく、そして宇多田ヒカルのために「流星ひとつ」を出版したというのに驚いてしまいました。宇多田ヒカルの休養宣言はこの本が原因かも知れません。最近の宇多田ヒカルは、髪型も母親に似せてきましたし、歌い方も演歌に変わってきているように思います。

今年4月に佐世保へ出張に行きました。佐世保は「長崎は今日も雨だった」の前川清が生まれ育った町です。前川清が一番好きな歌は意外にもアニマルズの「朝日のあたる家」。この曲はアニマルズのオリジナルではなくてアメリカの民謡です。ウディ・ガスリーやレッド・ベリー、ボブ・ディランなどが歌い、アニマルズが大ヒットさせた歌です。

前川清の独特なヴィブラートはデルタブルースが源流なのかもしれません。

小さい時に佐世保基地周辺にある米軍関係者のバーから流れてくる曲を聞いて育った前川清と、旭川から上京して両親が日暮里で流しをしていた藤圭子が結婚したのは、音楽ファンからしてもドラマのようです。

いま日暮里駅を降りると、駅前の駄菓子街も消えて舎人ライナーとなり、昭和の雰囲気が消えてしまいました。隣の鶯谷駅前にあったキャバレーには藤圭子も出演していましたが、それもなくなり、いまは彼女の歌をCDで聞くだけです。非常に寂しい気持ちですが、娘の宇多田ヒカルには頑張って歌って欲しいと思います。

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